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Financial Literacy

~金融・投資編~

COVID19を乗り切り、新しい時代に向けて、今。 ~おうち時間の過ごし方~

ルールチェンジの狭間。時代(人生)の転換期。言葉は違えど、岐路には驚くようなコトが起きがちです。
強いものが残るんじゃない、賢いものが残るんじゃない、変化出来、流れにのれるものが生き残るんだと、本当にそう思っています。

プロフィール(という名の各種構成要素)

ビジネスマン 兼 個人事業主 兼 法人代表
金融屋であり、何でも屋。妻1人、子2人。

自分とは価値観の違った妻と、陰と陽の如く、混じり合って、反発し合って、影響し合って、補完し合って、生きてます。

社会人歴=投資、資産運用歴
株やFX、不動産、投信等、国内で一般的に「投資」と言われるジャンルは、やりません。
海外口座開設や、暗号通貨に関連するところは所掌範囲。
※正確には、他の専門メンバーに任せています。投資集団の団員であり、団長。

フィッシャーでもありファーマーでもありハンターでもある。

やってやれ、滾るヤル気と、面白さ

~輝ける個人にむけて~ 日々研鑽!!

●ウェルスダイナミクス アキュムレーター(スチール・テンポ)

●個性心理学 表も裏も こじか 華やかなこじか

●16personalities 起業家

●素質論「108-108-100」というそしつになります。
信頼や、周りを第一に考えて行動する気質があります。

●StrengthFinder 結果 「最上志向・ポジティブ・アレンジ・包含・着想」

●Birth color K10 C70 M90 Y0 AV0125 のヤラシクない紫 

●四柱推命  印身比比 戊辛辛辛 戌丑丑酉

気質構造概論 辛(かのと)の身。
辛とは、陰の金。 柔らかく丈夫で、可塑性もなる何か金属的な加工品やアクセサリー、金具。金は土から生まれ、水を生み出します。
また金は、木を剋しては、火によっては剋されています。

●マヤ暦 神聖暦ツォルキン kin100 太陽の紋章(健在意識)は 黄色い太陽 
: 「太陽の力」「円満・円熟」「公平」

ウェブスペル(潜在意識)は 黄色い人 
: 「自由意志」「自立」「理解する」 銀河の音 音9  
:「意図の脈動」「ワクワク・ドキドキ」

actoinがあるからre:actoinがある。
stay hungry,stay foolish (ハングリーであれ、馬鹿であれ)

略歴(という名の現在に至る遍歴)

楊(ヨウこと筆者)の遍歴について

【生まれて~学生編】

1982年 : 北の大地の東の方で、父は道路関係の仕事、
      母は天然の主婦という、ごくごく一般的な家庭に生を受ける。
      後に3人兄妹の長男となる。
      父は長男の誕生を喜び、キャッチボールをさせたがったが、
      全く出来ずに、早速悲しい思いをさせる。
      (今思えば教え方だろう、とも思う)
      亭主関白な父であったし、怒鳴る事は多かったが、
      殆ど叩かれた覚えはない。父は育児に対し、そう決めていたのだろう。
      TVは野球中継で占領され、喫煙者であったため、おかげで少し野球と煙は好きじゃなくなった。

幼稚園    : (公共の)バス通園という稀有な通い方をする。思えば平和な世の中であった。お遊戯会では御釈迦様という大役主役を仰せつかる。
      不公平だ、平等であるべき、主役でも数人で・・・とかとかいう世の中ではなかった。
       (保育士さんに、ムラムラするというおませさんであった。
      ある程度の男児を女湯に連れて行くものではないというのは強ち間違えではないと思う。)

小学生 :「味方は多いに越した事は無いが、敵をなるべく作らない事が肝要である」という事を体感する。
     国語はそこまで勉強をせずとも成績が良く、図工は好きだった。作品をいたく褒められ、調子に乗った事を今でも覚えている。
     教師は、その子を才能を見出し、褒めて、伸ばす事が本分である、と今でも思っている。
     運動音痴(ウンチ)だった。何より夏はグランドの炎天下の中、砂埃が嫌だった。(←そこ?)
     最終学年では、少し奇をてらう事により、世の中に溢れている生徒会長というものを体験する。
     この時に、親ではない大人や教師との接点が増え、小学生では体験しづらかったオトナや地域での出会いを意識するようになったと思う。
     ファミコン、スーファミ世代なので、友達の家へ行ってやりに行ったり、反対に来ることもあった。
     インターネットが無かった頃、大技林は大辞林へのオマージュであると共に発明だと思う。
     ただ、友達と呼べる仲間たちは良からずと言われる友達が多かったと思う。やんちゃの域を出ない、可愛いものだったと思う。
     (というか元々友達だった子たちが良からずになっていった、という方が正しい。)
     オキシドールやビニ本、BB弾での発砲、近所のスーパーでツケとかを行っていた・・・のを横目で見ていた。(生徒会長だからね。)
     思えば平和な田舎であった。※時効です。
     父から(今思えば至極真っ当な)叱責を受ける事もままあったが、年齢を重ねるごとに、自分は成人に、父は老人になる事を想定し、
     力が逆転した頃にコテンパンにしてやろうと考えていた、末恐ろしい小学生であった。(勿論、今では感謝しかありません。)
     習い事は、習字と珠算。(凡庸) 
     私の家では準2級もしくは2級まで取れば(やれば)辞めても良いよ、という謎のルールがあり、それにしっかり則った真面目な子であった。
     ビックリマンよりもドキドキ学園派。コロコロコミックより、コミックボンボン派。
     ジャンプはきっちり読む、邪道と王道を使い分ける学生であった。

     この頃、ワープロという文明の利器に出会う。
     元々(今も)字が汚い私は、これは発明だと思ったと同時に、字は汚くていーや、と思ってしまった。無念。
     
     無意識、かつ後付的な、何故、投資や金融に興味を持ったのか、についての回答の1つは、この時期のこんなエピソードが
     深層心理で関係しているのだと思われる。
     この頃、祖父は私と弟に、小銭でお小遣いをくれていたがその方法は少しユニークであった。
     祖父の両手の中には、片方には10円玉5枚以上、片方には100円玉数枚。
     私も最初は、枚数の多い10円玉を沢山貰って喜んでいたが、年齢が経つにつれて、お金の価値を知り、100円玉を選ぶようになった。
     弟(初登場)は喜んで10円玉を数枚貰っているのを横目に、知らないという事は怖いというか、愚かだな、と感じたものであった。
     
中学生 :我々の世代、多分に漏れず、バスケットアニメに影響された友達Sらに誘われて、バスケ部へ入部する。(自分の軸が無い事が重要。)
     ウンチな私(上記参照)は各ポジションで活躍出来るわけもなく「お前とバスケやるの息苦しいよ」と言う側の脇役Aであった。
     但し、おかしい事はおかしいと思っていたので、決まった時間まで水を飲まずに練習を続ける、という悪習は切り捨ててやった。
     「俺は飲むよ」は、その中学バスケ部の歴史の1ページを刻んだ事だろう。
     部活動以外では、生徒会長補佐という役職を創設してもらい、その役に着く。大人の目につきやすかったのだろう。  
     キャラクターが役職になったのか、役職がキャラクターを作ったのか、分け隔てなく接するという事は、大事な事だと痛感する。
     当時からLGBTと今なら思える友達や、目立った生徒だけでなく、浮いている生徒や一見地味な生徒も気になって仕方なかった事を覚えている。

     学生生活全般を通して、分け隔てなく付き合う、という大前提で過ごしてきたため、スポーツで活躍する友達は基より、
     コンピューターに詳しい友達も出来る事により、パソコン、インターネット(当時はISDN)に出会う。(不純な動機で)
     女性へのアプローチの根幹は、この時のゲームが基礎基盤となっている事は多い。(きもっ)
     コンピューター、インターネットの時代が来る、と幼い心ながらに謎の先見の明を持っていた。
     あの薄くて軽い媒体FD(フロッピーディスク)にいくつものゲーム(不純な)が入り、世の中の色々な情報や(主に不純な)データに
     アクセス出来るものがあったのか!!と強い衝撃と心の高鳴りを覚えた事は今でも忘れない。
     自分たちが読んでいたいわゆるエロ漫画というものは、異性が読んでいるその類の本に比べて、如何に幼稚なものであったかを知り、
     これまた衝撃を受ける。
     子どものままでいたい、という思いより、早くオトナになりたい、とどこかで思っていた気がする。
     恋愛に関しては多感であったものの、今の同性とのつるみが面白すぎて、異性に対して割く時間が勿体無いと9割思っていたと思う。
     選ぶ側だと思っていた自分、好意を持ってくれていた女子の交際を断った自分に対して、軽く引っ叩いてやりたい。

     高校受験に向けて、本来すべき科目よりも、倫理という科目に没頭し、読みふけっていた覚えがある。
     本当に学びたい学問はこれなのに受験に必要な科目は異なるという受験制度にモヤモヤする。

高校生 :いわゆる田舎のその地域では進学校という所へ入学する。
     つるんでいた仲間たちとは離れたため、今回こそは自分の意志で何かをやろうと思い立ち、
     日本人なら和道(武術)の1つや二つ嗜まなくてはダメだろう、と弓道を始める。後の伴侶はここでの先輩だったりする。

     (柔道→汗臭いだけではなく絶対に痛い。長くやれない。剣道→男女比がそこまで良くないし汗臭いし、絶対痛い。運動神経も関係してくる。
     弓道→汗はかかないし、運動神経はさして関係しない、長くやれるし、男女差も均等で痛くないし狩猟にも役立つ。)
     ※完全に独断と偏見です。母校の状態で、全国の状態とは異なると思います。色んな意味で、ごめんなさい。

     座右の銘:ギャップは大事である、は、この時代に養われたと思われる。

     文系科目はある程度授業だけで高得点を狙えたが、数学、物理には本当に苦労した。
     だが、何を間違えたか、何かで読んだ「悩んだ時は苦手な方、大変な方を選ぶべし」という概念と中学の時に出会ったインターネットの衝撃、
     これからの世の中はPC、テクノロジーが重要なポジションを得る、という雑駁な動機から分離の選択では理系を目指すこととなる。苦手なのに。
     本当は化学を追求したかったが、これまた受験には不要科目なため、泣く泣く切り捨てていく。引き続きモヤモヤする。
     (以下、中学時代同文)

     合格率〇%という数字は、普通〇%だから厳しい関門だ、と考えるが、
     そこは私、〇%は受かるんでしょ?という安易な考えで受験時代を過ごす。
     当然、あらゆる志望校に落ち、滑り止めも滑るという失態を犯す。
     同じ進学クラスのM君からは、お前人生終わったなとまで言われていた。
     今は幸せに生きてるかな、M君・・・こんな事では人生は終わらないよ。
     挫折と言えば挫折かもしれないが、特に挫折ではないと当時も思っており、ヘラヘラしていた。
     ※この時期の受験はカネだけを無駄にするギャンブル受験だ、と今でも家族からはネタとされている。

     当時、これからは中国が凄い勢いで延びてくる、皆、中国語を学び備えるんだ、と謎に言っていた。
     結果論だが、何を根拠に言っていたんだろう・・・。

     電話をしたら、その家の誰が出るか分からない、何々さんいますか?という時代から、
     ポケットベルで意志の疎通が取れていた事は面白い時代だった。
     顔に似合わず、1112314193なんてやり取りをしていたS君を冷やかしたものだった。

大学生 :人生終わったな、とまで言われた最低偏差値寄りの理系大学へ進学する。第二言語は勿論中国語。
     (諸先輩方、本当に申し訳ありません。幼いM君の戯言です。許してやってください。
     私個人の見解ではありません。素晴らしい学び舎だと思っています。)
     ※この時に田舎を出て、ちょっと都会で初めての1人暮らしとなる。
     人生で一番時間をかける事は何かを考えた時に、睡眠だ、という事に到達し、学生には似つかわしくないベッドを購入したこと、
     ベッドの上は聖域だ(複数の意味で)と考えていること、はこの時から今思えば変わらない。
     
     落ちに落ちて辿り着いた、私とは裏腹に、ちょっとした作文と面接で推薦で来た中学時代のS君と再び合流する。
     今思えば、彼から根拠の無い自信というものを学んだ気がする。彼は彼で私は来るべくしてここに来たと笑い話にしていた。
     またS君に誘われるまま、サークルに入る事となる。
     ここで学生ながらに社会の不条理に触れると共に、社会人との接点やビジネスとは何か、お金とは何かを更に追及するきっかけとなる。
     他校との関わりは色んな意味で学生生活を変えてくれた、良いきっかけだったと今は思う。
     謎に夜中に軟禁された数々の会議(?)は今となっては良い思い出だ。
     夜を超えた仲、夜を過ごした分だけ親密になれる、と体感したのもこの頃かもしれない。(複数の意味で)

     学業では単位を取るだけ取っていた気がする。単位を取らずに計算したり、ギリギリを攻めている先輩や同期を見て、     
     なんでそんな危ない橋を渡っているんだと、と思っていた。ただ、なぜか今でも単位が足りない夢を見る。何故だ。
     因みに、単位の鬼だった私は理系大学では珍しい教職課程の単位も取り、教育実習の段階で、母校へ連絡したが
     受け入れていない(正確には通常の受け入れで一杯)との事で、今でも少し根に持っている。
     が結果地域の工業高校にて実習が出来、目から鱗だったのでそれはそれで良しとしている。

     生きていくためにも、社会経験の為にも、アルバイトを解禁した。というよりせざるを得なかった。
     飽き性かつ器用貧乏な事は分かっていたので、倉庫の梱包管理、イベントの綺麗なおねぇさんとのタッグ、演劇の黒子・・・等々、
     登録制のバイトを行い、様々な業種業態に触れる事が出来、ある意味その後、流行る事になる
     インターンシップに似た経験が出来ていたんだと思う。
     飲食の深夜のバイトで同じ中身なのにバイト代が違う事、大学のサポートセンターでマニアな面々からテクノロジーを学びつつ、
     ありとあらゆる受け答えをしていた事は、色々な気付きを得たと思っている。

     金融や投資、資産運用へのきっかけの1つである、学生と社会人をマッチングする場でアルバイトをした事だった。
     ここはアルバイトの域を超えて、ある意味スタートアップ企業を横目で見る事も出来たし、自分も疑似体験が出来ただけではなく、
     普通の学生では会えない企業のビジネスマンや、海外の企業との接点もあった事だ。
     セミナーや勉強会は当たり前に開催されていたし、そこに時間とお金を投じる事は当たり前の環境としていたので、
     それは社会人になっても当たり前の行動であったが、それは普通ではなかったと就職してから気付くのは後の話。

     もう1つのきっかけは社会人になるにあたり、人生で2番目の買い物とまで言われていた保険について、イベントを行った事であった。
     国内生保、外資生保の担当をそれぞれ呼び、プレゼンして貰った。今思えば生意気な1学生の戯言に耳を傾けてくれたものだ。
     そこで、預貯金だけで過ごしてきた今までと、運用との差を知り、また、国内国外でここまで違いがあるのかを知り、
     知らない事は、大きな損をする事だ、と衝撃を受けたことであった。
     海外の金融に触れて、国内と国外での金融の常識はここまで違うのか、と気付くのはもう少し後の話。

     国内ではmixiやGree、国外ではFacebookに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の台頭や、
     Winny、WinmxというP2Pの技術に触れられたのも、大学での学びと遊びの中で体験してきた大きな1部であった。
     面白い場所には面白い人が、尖った場所にはエッジな人が集まる。
     
     大学生活の終盤、殆どが行き着く「就職活動」という時期。ここも大きな気付きと出会いの連続であった。
     勝手に社会人になれば、海外に行く時間も、自由に休みを取る事も恐らく出来ないのだろうと恐怖していた私青年は、
     全国の就職活動中(前?)の仲間と、富士山に登る、という企画に北の大地から参加した。(今でいうフッ軽というやつだったんだろう)
     勿論、登山経験なんて自分を始めとしてほとんどが無い。その初体験がマウントフジだったわけだ。
     そこで出会った名だたる有名大学だけど根性がなく脱落していく者や、他人にかまう事無く登頂を目指す者、
     落ちこぼれを作らないように皆で登頂を目指そうとする者、女子にだけ優しく手を差し伸べる者(←誰、最低)
     ・・・山は、というか未踏未開の体験では、人間は誰しもが裸にされるし、極限の状態というのは本当に人の本性が出るものだ
     と知ると同時に、どこかで学歴に対し、コンプレックスがあったであろう私に学歴ではないんだ、人間力なんだ
     という事を指示してくれた、良い体験だったと思う。
     この体験は後の就職活動において、良い意味で脱力させてくれたし、自信をくれたと思っている。
     恋愛と就職は一緒だ、とはよく言ったものだが、相手を知り、自分を知り、双方がアピールし、マッチングする事。

     この時期に、世に言う「自己分析」というか自分の棚卸が出来た事はとても良かったと思う。強みを知り、弱みを知る事。
     方向性を決める事。
     他人に人生を委ねない事。副業、複業、兼業、パワレルワーク・・・この概念の基礎、出会いがあったのもこの時だろう。
     ここからはまた追って、別の話で。
     
     金融は時間や労働の対価ではなく、利益(損益)をもたらし、寝ていても、遊んでいても、(正しく行えば)常に利潤をもたらしてくれる。

北の大地 食糧庫 南3丁目
07026139587