大連彷徨記

 敗戦の日から引揚げるまで、大連で見聞きした経験をカラーのイラストと共に記した少年の手記
(著)縄田 進一
仕様:オンデマンド (ペーパーバック)
ページ数:142
ページサイズ:14.8 x 0.9 x 21 cm
出版社: デザインエッグ社
定価:¥3,058(税込)

こんな方にオススメ

Point.
1
戦前の大連に住んだことがあるか、または、親族の方が住んでいた方
Point.
2
終戦の八月十五日から、日本に引揚げるまでに、大連で、普通の一般市民に何が起こったのかを知りたい人。
Point.
3
戦後の混乱期に大連で何が起こっていたのか、少年の目で見た記憶が、カラーのイラストで記されている。
Point.
3
戦後の混乱期に大連で何が起こっていたのか、少年の目で見た記憶が、カラーのイラストで記されている。

作品概要

 本手記は、引揚げてから20年くらいして、進一が30代の頃、敗戦後の隠れ家時代に書き溜めていた日記をもとに執筆したものである。高齢になり、子供のいない進一が、本手記を永久保存記録書として残すため、1歳下の三男に託したが、三男は託された時、忙しく読みもせず、本棚の隅に置いたままにしていて忘れていた。進一の死後、三男も高齢になり、2019年、終活のため身辺を整理していたらこの手記が出てきた。読んでびっくり、その緻密な記憶力と、とりわけカラーのイラストが素晴らしく感動して、末弟の五男である私に送られてきた。私も初めて読んで感動した。特に我が両親の、引揚げるまでの苦労を初めて知った。手記を託された私は、本手記を埋もれさせるのは惜しいと考え、公に出版して多くの人に読んでもらいたくて、出版する事にした。

私は家族の大連時代のことはほとんど記憶にない。かすかに、最後に住んでいた隠れ家でお腹を空かせて泣いていたことが記憶にある。この手記を読んで初めて知った事が多々ある。何時引き揚げきたのか、また、他の兄弟が、大連で最後に住んでいた家のことを何故隠れ家と呼んでいたか等だ。

引き揚げ後、無一文になった両親は7人の子供を食べさせるため、そして独立させるため必死に働いた。著者の進一は、進学せず、米軍基地に勤め家計を助けた。末っ子の私は、両親のそういう苦労は少しも理解できず、反発ばかりしていた。

母は1980(昭和55)年、私が38歳の時に76歳で、その2年後、父が88歳で亡くなった。それから、10年以上して、兄弟で大連を訪問し、父母ゆかりの地を訪ねた。訪問前にこの手記を読んでいれば、感じることがまったく異なっていたのにと、悔やまれる。
(縄田 豊)

著者より

 本手記は私が大連より持ち帰った、汚れ破れた小さな手帳に書き綴っていたメモと、薄れゆく記憶に基づいて、できるだけ克明に、過ぎ去った遠い大連の地における、敗戦から引揚げ乗船までの期間に、私と家族、そして身辺に起こった、二度と経験し得ない凄まじい出来事や、見聞きしたすべてを整理し記述記録したものです。

 月日と共に失われ忘れがちなこの混乱期を極限状態にまで追い込まれて生き抜いた我が家族と、在大連日本人の生き様を、本文を通じて、時には想い起して、微々なりとも残世の教訓となるならば、誠に幸いに存じます。

 敗戦から引揚げまでの期間、この記録にさえ、記載できなかった数多くの凄惨なまでもの人々の生き様を見聞きした中で、帰国を夢見ながら空しく大連の土となった多くの人達を見てきました。私達兄弟は幸いに両親と神の御加護のもと、故国日本の土を踏む事ができましたが、今、異国の地、大連で眠る、これらの人々の霊に、ただ安らかにと祈るばかりです。

著者紹介

縄田 進一

1931(昭和6)年、満州国大連市生まれ。7人兄弟の次男で、上に姉と兄が、下に弟が3人、妹が1人いた。大連商業学校2年在学中に終戦。1947(昭和22)年2月、家族と共に引揚げ、母の実家があった、福岡県遠賀郡芦屋町に住む。米軍基地に勤めた後、大分県三重町にあった親族の土建会社に勤めたが、会社が倒産。その後、結婚、造園業を営む。2011(平成23)年4月、三重町に於いて80歳で没。

縄田 進一

1931(昭和6)年、満州国大連市生まれ。7人兄弟の次男で、上に姉と兄が、下に弟が3人、妹が1人いた。大連商業学校2年在学中に終戦。1947(昭和22)年2月、家族と共に引揚げ、母の実家があった、福岡県遠賀郡芦屋町に住む。米軍基地に勤めた後、大分県三重町にあった親族の土建会社に勤めたが、会社が倒産。その後、結婚、造園業を営む。2011(平成23)年4月、三重町に於いて80歳で没。

読者の声

 昭和20年8月15日、満洲・大連に在住する日本人の日常は一変し、戦々恐々とした毎日が続く中で、著者は、自分の目で見た様々な事柄や風景を、豊富なカラーイラストを駆使しながら詳細に記述されており、高い臨場感のなかで一気に読み終えてしまいました。
 終戦の詔勅以降、現地の日本人が受けた筆舌に尽くしがたい辛酸を知り、戦争に負けるとはどういうことなのかが、深く胸に刻まれました。極限状態の中でも家族が一つになって切り抜ける数々のエピソードからは、親兄弟の強い絆が伝わりました。そして特筆すべきは、筆者のご両親の、家族を守り抜くのだという胆力と行動力です。
 先の大戦を経験していない平和な今を生きる私たちが、知っておかなければならない昭和の歴史的事実を、この本は伝えています。
 大陸での艱難辛苦を、まさに耐え難きを耐え抜いて帰国し、日本の再興に尽力した方々がおられたからこそ、今の私たちの恵まれた暮らしがある。それを感謝せずにはいられない気持ちになりました。すばらしい本に巡り会えたと思います。みなさん、ぜひ読まれることをお薦めします。

1945年冬、聖徳街通りヤミ市